応和3年(963年)六位蔵人に補任。以後、筑前守,山城守,摂津守といった地方官を歴任した。また、円融朝で右中弁も務めている。 『枕草子』の著者・清少納言の2番目の夫。ただし『枕草子』には、清少納言の最初の夫・橘則光がたびたび登場するのと対照的に、棟世の名は見えない。なお、清少納言の生年は康保3年(966年)頃と推定されていることから、棟世は清少納言より20歳以上年長であったと推測される。長保2年12月16日(1001年1月13日)の皇后定子崩御の直後、清少納言が棟世の任国であった摂津に身を寄せていたことが『清少納言集』の詞書より知られる。