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永井尚庸 | 永井直敬 |
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尚庸系永井家初代。山城国淀藩主・永井尚政の3男。母は内藤清成の娘。
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延宝5年(1677年)、父の死去により跡を継ぎ、同年閏12月26日に従五位下・伊賀守に叙任された。貞享4年(1687年)、那須氏が改易され、代わって河内国内に所領を持っていた直敬が下野烏山藩主として転封された。この際に庶兄の永井尚附に500俵を分与した。元禄7年(1694年)11月15日に寺社奉行となり、後に奏者番も兼任した。 |
永井直陳 | 永井尚志 |
元禄11年(1698年)、武蔵岩槻藩の初代藩主・永井直敬の3男として生まれた。正徳元年(1711年)の父の死去により、家督は兄の尚平が継ぎ、直陳は1500石を分与された。正徳4年(1714年)に兄が死去したため、その養子として家督を継承した。継承の際、1千五百石は収公された。同年12月28日に従五位下、伊豆守に叙任された。享保15年(1730年)には伊賀守に転任した。1739年、奏者番に任じられた。その他、生涯に大阪加番を八度も務めた。 |
宝暦6年(1756年)、兄で加納藩嫡子だった尚俶が早世したため嫡子となる。同年、徳川家重に拝謁し叙任するが、兄同様に家督を相続することなく早世した。代わって、従弟にあたる尚備が養子に迎えられ嫡子となった。
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永井尚備 | 永井尚佐 |
先代・直陳には長男・尚俶、次男・永井尚志の2子があったがともに早世していたため、宝暦11年(1761年)12月に尚備が伯父にあたる直陳の養嗣子となった。宝暦12年(1762年)、直陳の死により跡を継いだ。明和6年(1769年)、大坂加番に任じられて任地に赴いたが、同年7月18日に大坂城にて死去した。享年27。跡を長男の直旧が継いだ。墓所は東京都中野区の功雲寺。 |
寛政2年(1790年)10月29日、先代の永井直旧が嗣子なくして死去したため、従兄弟にあたる尚佐が末期養子となって家督を継いだ。寛政10年(1798年)12月16日、従五位下・山城守に叙任する。後に出羽守、肥前守に改める。幕府から大坂加番を命じられる。寛政10年から翌年にかけて、洪水を契機として百姓一揆が起こり、藩政では多難を極めた。 |
永井尚典 | 永井尚服 |
長兄・陽之助、次兄・大学の早世により、嫡子となる。文政10年(1827年)12月16日、従五位下・伊豆守に叙任する。後に山城守、肥前守に改める。天保10年(1839年)7月10日、父の死去により家督を継いだ。 |
陸奥福島藩主・板倉勝俊の7男。官位は従五位下・肥前守、伊豆守。維新後、正五位。爵位は子爵。 |