左大臣・二条治孝の19男で、奈良興福寺大乗院門跡となったが、明治元年(1868年)に勅命により復飾し、明治2年(1869年)に堂上格を与えられて一家を起こし松園家を家号とした。 明治8年(1875年)に九条尚忠の第2子で隆温の養子にして法弟となっていた松園尚嘉が家督を継いで華族に列し、明治17年(1884年)7月7日の華族令施行で華族が五爵制になると、翌8日に男爵に叙された。