宇多源氏

G778:隠岐泰清  源 雅信 ― 源 扶義 ― 隠岐泰清 ― 湯 頼清 G780:湯 頼清

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湯 惟宗

 惟宗は、尼子晴久,義久の2代に仕えた。天文8年8月の毛利元就攻撃に参陣し、永禄元年5月の小笠原応援軍にも加わり、石見出羽表において吉川軍を破る功を立てている。
 尼子義久の代、永禄4年11月、鰐走城主・牛尾久清とともに福屋隆兼に応じて、毛利方の吉川・都治両氏の守る石見福光城を攻撃したが敗走している。
 毛利元就が出雲侵入して白鹿城を攻めると、尼子義久は応援軍を派遣、惟宗はこの軍に加わって出陣した。白鹿城の尼子軍は奮戦したが富田城からの援軍が敗走し城は落ちた。
 毛利軍は尼子の本城富田城を包囲したが、尼子氏は毛利の総攻撃を撃退、しかし、兵糧が困窮し城内の人心も動揺するに至った。さらに元就の策が功を奏し、牛尾,亀井,河本,佐世氏等とともに湯氏は毛利に降った。