K316:嵯峨天皇 | 源 定/生/澄 | G004:源 定/生/澄 | ● |
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源 定 | 源 順 |
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淳和天皇の猶子になったが、父嵯峨天皇からも特に寵愛された。四条大納言または賀陽院大納言(陽院大納言とも)とも呼ばれた。 |
平安時代中期の学者,歌人。嵯峨源氏の一族で下総権守,和泉守等を歴任し、極官は従五位上、能登守。 |
源 至 | 源 精 |
文徳朝の仁寿元年(851年)无位から従五位下に直叙され、斉衡3年(856年)侍従に任ぜられる。 |
貞観10年(868年)正六位下から二階昇進して従五位下に叙爵し、貞観14年(872年)侍従に任ぜられる。貞観18年(876年)雅楽頭。
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源 俊 | 源 連 |
醍醐朝にて左兵衛少尉,左衛門少尉などの武官や六位蔵人を務めた。 |
969年(安和2年)3月25日、左馬助源満仲と前武蔵介藤原善時が中務少輔橘繁延と左兵衛大尉源連の謀反を密告した。右大臣師尹以下の公卿は直ちに参内して諸門を閉じて会議に入り、密告文を関白実頼に送るとともに、検非違使に命じて橘繁延と僧・蓮茂を捕らえて訊問させた。さらに検非違使源満季(満仲の弟)が前相模介藤原千晴(藤原秀郷の息子)とその子久頼を一味として捕らえて禁獄した。事件はこれに留まらず、左大臣・源高明が謀反に加担していたとされ、太宰員外権帥に左遷することが決定した。高明は長男・忠賢とともに出家して京に留まるよう願うが許されず、26日、邸を検非違使に包囲されて捕らえられ、九州へ流された。 |
源 周子 | 源 生 |
平安時代中期の女官・歌人。醍醐天皇の更衣。近江更衣と呼ばれた。 |
承和5年(838年)无位から従四位上に直叙される。承和10年(843年)加賀守に任ぜられると、承和12年(845年)備後守、嘉祥3年(850年)山城守と仁明朝後半に地方官を歴任する。文徳朝では、嘉祥4年(851年)左京大夫、斉衡2年(855年)治部卿と京官を歴任し、この間に美作守も兼ねている。 |