K316:嵯峨天皇 | 源 常/寛/明 | G003:源 常/寛/明 | ● |
源 常 | 源 興 |
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東三条左大臣とも呼ばれる。 弘仁5年(814年)、信,弘とともに源朝臣姓を賜り、左京一条坊に貫付せられた。父である嵯峨天皇は、常の「操行深沈、風神静爽」なのを見て、特に寵愛したと言う。 |
承和12年(845年)正月に無位より従五位下に直叙され、仁寿元年(851年)従五位上に昇叙され、以後侍従・左右兵衛佐などを歴任し、斉衡2年(855年)正五位下になる。天安元年(857年)4月右近中将となり、翌年の天安2年(858年)に従四位下になり、貞観5年(863年)従四位上に進んだが、この間に相模国,筑前国,美作国,伊勢国の国守を兼任した。また貞観8年(866年)11月より貞観11年(869年)2月まで蔵人頭をも務めた。貞観14年(872年)11月19日、従四位上右近中将兼阿波守で卒去した。享年45。卒伝には「美姿質、能挙止。外貌雄峻、内性寛柔」とあり、幼くして学ぶことなく百氏の書を諳んじていたという。 |
源 頴 | 源 明 |
嘉祥3年(850年)正月に従五位下に叙爵し、同年の御斎会では百済王教福とともに元興寺使を務める。天安元年(857年)侍従に任ぜられると、文徳朝末にかけて宮内少輔,刑部少輔を歴任する。 |
左大臣源常の同母弟。出家後の法名は素然。横川宰相入道とも称した。室は橘氏公の娘。子に舒、建、頴、遠がいる。 |