K201:応神天皇 | 坂田信正 | ST01:坂田信正 | ● |
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槻本 老 | 坂田奈弖麻呂 |
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天平21年(749年)、无位・越前国足羽郡擬主帳の官位にあったが、造東大寺史生・生江東人らと共に東大寺野占使として東大寺領荘園の占定に携わった。 |
桓武朝の延暦16年(797年)、外従五位下・内蔵助に叙任される。延暦18年(799年)、長門守として地方官に転じる。延暦22年(803年)、桓武天皇の皇太子時代における父・老の奉仕を賞され、弟の豊人,豊成とともに昇叙されて奈弖麻呂は内位の従五位上となり、槻本公から坂田宿禰姓へ改姓した。 |
南淵弘貞 | 南淵氷河 |
若くして大学寮で学び諸子百家を渉猟し、才能を認められ若くして文章生に推挙される。大同元年(806年)少内記次いで少外記に任ぜられる。 |
朝野鹿取,小野岑守,菅原清人らと共に春宮・神野親王(のちの嵯峨天皇)の侍読を務める。 |
南淵年名 | 南淵良臣 |
淳和朝末の天長9年(832年)文章生となり、翌天長10年(833年)少内記に任ぜられる。仁明朝では、承和8年(841年)従五位下・筑前守に叙任される。 |
貞観19年(877年)、父・年名が臨終にあたって上表して致仕した際、既に起居が困難となっていた年名の代わりに、良臣が参内して上表を行っている。その後、陽成朝では引続き内蔵助を務める。 |