K103:景行天皇 | 佐伯阿良都別命 | SE01:佐伯阿良都別命 | ● |
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佐伯田公 | 佐伯鈴伎麻呂 |
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讃岐国多度郡の豪族であったが、子の真魚(のち空海)を中央官人にするため、妻の実家である阿刀氏の一族であった阿刀大足の尽力によって、大学寮明経科に入学させる。しかし、真魚は仏門の世界に入ることとなり、田公は憤慨したという。その弁明として真魚が書いたのが、『聾瞽指帰』である。 |
多度郡少領・佐伯田公の長男で空海の兄と伝えられる。天長4年(827年)正月、外正六位上から外従五位下に叙される。元々の姓は直であったが、没後の貞観3年(861年)11月に佐伯宿禰姓を賜っている。 |
空海 | 真雅 |
Wikipedia(空海)参照 | 空海の弟。讃岐国多度郡屏風浦の出身。空海の十大弟子の一人。清和天皇の誕生以来の護持僧で、天皇とその外祖父藤原良房から厚い信任を得る。清和天皇の御願寺である貞観寺の開基。貞観寺僧正・法光大師と称される。 |
真然 | |
空海の甥と伝えられている。空海の弟子となり、後に真雅から灌頂を受けた。空海の死後、荒廃しつつあった高野山(金剛峯寺)の復興,発展に尽力。伝承では亡くなる直前の空海から高野山の経営を託されたといわれる。 |