<神皇系氏族>天神系

MB03:物部大新河  物部大新河 ― 越智益躬 OC01:越智益躬

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越智益躬 越智玉興
 高縄山の天神森に高縄神社社殿を造営し、大山積神を勧請した。  710年頃、伊予大領。元明天皇の和銅5年(712年)8月23日、勅詔によって国司河野伊予守越智玉興,玉澄が井出郷の総鎮守として大山祇神社より勧請し現東予市三芳に三島神社建立。光明寺も再建。三島大明神に祈って海中から清水を授かったという伝説がある。
河野玉澄 河野為世

 物部姓越智氏一門河野氏の祖とする。天智天皇2年(663年)に起こった白村江の戦いの時、伊予水軍を率いて出陣した越智守興と、戦地の唐の武将の娘との間に生まれた子が玉守・玉澄兄弟とされている。
 その後、伊予国風早郡河野郷に居を構えたことから河野玉澄と名乗り、河野を名乗った初代とされている。本人のものと伝承されている墓は愛媛県今治市の小泉にある。

 桓武天皇第4皇子伊予親王(?~807)の長男で母親は家時女の説あり。伊予親王の変に際し家時が親王を窃かに養育し、伊予に下向した橘清友に預けその子と称する。7才の時に上洛し嵯峨天皇后橘嘉智子に寵愛され、藤原姓を賜る。下向して浮穴郡高井里に住み浮穴四郎を称す、と言い伝え有り。
 この辺りで後世の河野氏が系図を捏造したとの説が強い。ここまで越智氏・河野氏が存在してきたがこの辺りで後世の河野氏が越智氏の地位を簒奪し、系図に侵入してきた可能性が高いとされている。