G166:宇野頼治 | 源 経基 ― 源 満仲 ― 源 頼親 ― 源 頼房 ― 宇野頼治 ― 高木信光 | G171:高木信光 |
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高木清秀 | 高木貞久 |
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幼少時から織田信長に仕え、その家臣である水野信元の与力となる。天正3年(1575年)に信元が武田勝頼に内通した罪により信長によって殺されると、佐久間信盛の与力となる。ところがその信盛も天正8年(1580年)に信長によって追放されたため、信長直属の家臣として仕えるようになった。織田時代には姉川の戦いや長篠の戦いに参加している。 |
美濃駒野城主高木貞次の婿養子として家督を継ぐ。斎藤道三の家臣であり、西美濃三人衆の安藤守就に属した。後年、織田信長に従い、今尾城主に転出する。天正10年(1582年)本能寺の変後は織田信孝に仕えたが、翌年信孝も没すると駒野に隠居し、同年に死去した。長男貞家は父に先立って死去したがその遺児貞俊が北高木家、次男貞利が西高木家、五男貞友が東高木家と称して美濃衆を形成した。 |
高木貞利 | 高木貞俊 |
美濃衆西高木家初代。美濃今尾城主の父と共に織田信長に従う。天正3年(1575年)長篠の戦いでは氏家氏の隊に所属して武功があった。天正6年(1578年)播磨神吉城攻めでは織田信忠軍に属して活躍。 |
美濃衆北高木家初代。父貞家は永禄11年(1568年)に戦死したため、祖父貞久の養子となる。天正6年(1578年)織田信忠に従って播磨神吉城攻めに従軍する。天正12年(1584年)小牧長久手の戦いでは一族と共に織田信雄に従い、蟹江城合戦に関わり、その戦功により美濃安田城主となった。天正18年(1590年)小田原征伐では土方雄久隊に属して活躍したが、同年に信雄が改易となったため、一族とともに加藤光泰を頼って甲斐で閉居した。 |
高木貞友 | |
父の代から織田信長に仕え、天正3年(1575年)長篠の戦いでは氏家氏に属して武功があった。天正10年(1582年)本能寺の変後は織田信孝に仕え、天正11年(1583年)信孝が自殺したために自領の駒野に閉居するが、同年に父貞久も死去したため駒野城主の座を継ぐ。天正12年(1584年)羽柴秀吉の誘いを断り、母を証人として織田信雄に従った。小牧長久手の戦いでは加賀野井城,竹ヶ鼻城攻めに従い、また駒野城に籠城して羽柴方と戦った。天正18年(1590年)小田原征伐では土方雄久隊に属して戦った。戦後、信雄が改易されると一族とともに加藤光泰を頼る。文禄元年(1593年)文禄の役では光泰に従って朝鮮半島に渡海し、明軍との戦いで戦功があった。 |