F201:藤原宇合 | 藤原鎌足 ― 藤原宇合 ― 藤原清成 | F202:藤原清成 | ● |
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藤原清成 | 藤原種継 |
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父・宇合の死去と同じ年(天平9年[737年])に息子・種継が誕生しているにも関らず、六国史等に清成個人の活動の記録が全く残されていない。考えられるのは、父・宇合の死から3年後の |
『続日本紀』では天平神護2年(766年)に従六位上から従五位下への昇進記事が初出で、2年後の神護景雲2年(768年)には美作守に任ぜられている。 |
藤原薬子 | 藤原仲成 |
長女が桓武天皇の皇太子安殿親王の宮女となり、東宮宣旨(高級女官)として仕えるようになると安殿親王に愛され不倫の仲となった。薬子は藤原葛野麻呂とも通じていたとされる。桓武天皇は怒り、薬子を東宮から追放する。 |
延暦4年(785年)父・種継が暗殺されたことから、若年ながら従五位下に叙された。桓武朝では出雲介・越後守・山城守・大宰大弐・大和守・伊勢守と地方官や、衛門佐・弁官などを歴任する。 |
藤原縵麻呂 | |
延暦4年(785年)父・種継が暗殺されてまもなく、兄・仲成とともに従五位下に叙せられる。桓武朝において、皇后宮大進,大判事といった京官や、相模介,相模守,因幡守,豊前守等の地方官を歴任する。またこの間の延暦23年(804年)には正五位下から正五位上に昇叙されている。平城天皇の即位を挟んで、大同3年(808年)までには従四位下に至り、同年右大舎人頭兼美濃守に任ぜられる。 |