| SY02:諏訪有信 | 諏訪有員 ― 諏訪有信 ― 座光寺光清 | SY09:座光寺光清 |

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| 座光寺為清 | 座光寺為時 |
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座光寺氏の出自は、『寛政重修諸家譜』によると、鎮西八郎為朝の子・大嶋二郎為家が伊豆国大島を去り、信濃国伊那郡下条に住し、のち同郡座光寺村に移り座光寺氏を称した。 また、諏訪氏の族であるとも、清和源氏片桐氏族であるとも言われる(本系図は諏訪氏説)。 |
天文20年(1551年)、座光寺為清の子として誕生。当初は武田信玄の伊那郡進出に従っていたが、織田氏の甲州征伐により甲斐武田氏が滅亡すると、徳川家康に仕える。天正12年(1584年)、松岡城主・松岡貞利が豊臣氏に通じたことを菅沼定利に報告した。その功績により、天正18年(1590年)小田原征伐後、徳川氏が関東に移されると上野国碓氷郡大竹に950余石を賜り、さらに30余石を加増される。 |