H437:千葉常重 | 平 高望 ― 平 忠常 ― 千葉常重 ― 亘理広胤 | H438:亘理広胤 |
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亘理宗隆 | 亘理元宗 |
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明応2年(1493年)、亘理氏15代当主・亘理宗元の子として生まれる。亘理氏は、父・宗元の代に伊達稙宗の傘下に入っており、宗隆は娘を稙宗の側室に出している。稙宗と娘の間には二人の男子(綱宗,元宗)が生まれ、男子のいなかった宗隆は、この外孫達を自らの養嗣子として迎えた。天文5年(1536年)、稙宗が大崎義直の要請を受けて大崎氏家中の内乱鎮圧のため出兵した際には、他の奥州諸侯らと共に参陣している。 |
享禄3年(1530年)、伊達稙宗の12男として生まれる。天文12年(1543年)3月、外祖父・亘理宗隆の養嗣子となっていた同母兄の綱宗が討死したため、亘理氏の跡取りとなり、天文の乱終結後に家督を相続した。この頃の所領は亘理郡の20ヶ村,伊具郡の6ヶ村,名取郡の長谷村であった。それまでの亘理氏の居城であった小堤城の北東に、新たに亘理城を築いて移った。 |
亘理重宗 | 亘理宗根 |
天文21年(1552年)、亘理氏17代当主・亘理元宗の嫡男として生まれる。永禄9年(1566年)、伯父・伊達晴宗を烏帽子親として元服し、遅くとも元亀年間までには相馬盛胤の娘を正室に迎えている。家督を相続した正確な時期は不明だが、元宗は亘理城を重宗に譲って山西の金津郷に移っていたことが書上に記されており、遅くとも涌谷に移る以前であったということは判明している。 |
慶長5年(1600年)、伏見にて伊達政宗と愛妾・香の前の間に生まれる。香の前は初め豊臣秀吉の愛妾であったが政宗に下賜され(重臣・茂庭綱元が秀吉から香の前を賜り、それを政宗が奪い取ったともいう)、政宗と香の前の間には一女一男が生まれたが、そのうちの男子が宗根である。宗根誕生後の慶長7年(1602年)、香の前は茂庭綱元に下げ渡され、その側室となった。この時、宗根は同母姉の津多と共に綱元の実子扱いで養育されることになったので、当初は茂庭又四郎と名乗った。 |