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| 杉原家次 | 杉原長房 |
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尾張国の生まれ。秀吉の正室・寧々(高台院)の叔父に当たる。その縁のため、早くから秀吉の家老として仕えた。中国大返しの際は、備中高松城代となった。天正10年(1582年)の山崎の戦い後、秀吉から丹波国福知山城主に任じられた。翌年の賤ヶ岳の戦い後には3万2000石の知行を与えられ、さらに京都所司代にも任じられた。 |
天正2年(1574年)、羽柴秀吉の家臣・杉原家次の長男として生まれる。天正12年(1584年)、父・家次の死去により家督を継いで秀吉に仕え、近江国坂本城主となる。 |
| 杉原重玄 | 杉原ふく |
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寛永14年(1637年)、交代寄合・竹中重常(竹中重門の長男)の3男として生まれる。母方の伯父にあたる先代藩主・杉原重長が正保元年(1644年)10月28日に死去した後、所領を1万石に減らされた上で、正保2年(1645年)閏5月26日に末期養子となり、家督を継いだ。末期養子が解禁されていなかった時期であったが、長房・重長の2代における忠勤が考慮されて重玄の家督相続が認められた。藩主就任後の正保4年(1647年)、江戸城石垣普請助役を勤める。 |
長勝との間に子はいないが、朝日殿の子である寧々,長生院,浅野長政を養子とした。寧々と木下藤吉郎(のちの豊臣秀吉)の結婚の際は、姉が反対したが、長勝とともに賛成した。これにより浅野家は出世するようになる。 |
| 杉原こひ | 杉原くま |
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朝日殿という名は尾張国朝日村(現在の愛知県清須市)からそう呼ばれた。 |
長慶院。生年は不詳だが、兄の家定が生れたのが天文12年(1543年)なので、それ以降の生まれと考えられる。また妹の高台院の生年には諸説あるもののその下限が天文18年(1549年)と考えられるため、くまの生年は1540年代半ばの辺りと推測される。医者の三折全成に嫁いだ。 |