清和源氏

G529:井上清宗  源 経基 ― 源 頼信 ― 井上頼季 ― 井上清宗 ― 井上正長 G530:井上正長

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井上正長 井上正兼
 元禄6年(1693年)、父から3000石を分与されて交代寄合となる。甲府藩主・徳川綱豊の家老を務め、綱豊が将軍後継者となると西の丸御側衆となり、3000石を加増された。そしてその後も順調に加増されて8000石になり、家宣が死去するとその遺命により、正長は2000石を加増されて1万石で大名に列し、下妻藩主となった。その後も奏者番,寺社奉行などを歴任した。1720年12月4日、67歳で死去。養子の正矩が早世したため、その娘婿の正敦が正長の養嗣子となり、跡を継いだ。墓所は東京都台東区の谷中霊園。

 安政3年(1856年)9月10日、先代藩主で甥の正信の死去により、下妻井上家へ養子入りして家督を相続した。同年11月15日、将軍徳川家定に拝謁する。同年12月16日、従五位下・伊予守に叙任する。
 元治元年(1864年)、水戸藩の天狗党の乱の鎮圧に当たったが、逆に天狗党に攻撃されたため下妻陣屋を自焼して逃れた。慶応2年(1866年)11月23日、次男の正巳に家督を譲って隠居し、明治11年(1878年)8月7日に56歳で死去した。墓所は東京都台東区の谷中霊園。