<藤原氏>北家 秀郷流

F933:佐藤公清  藤原房前 ― 藤原魚名 ― 藤原秀郷 ― 藤原千常 ― 佐藤公清 ― 龍造寺季家 F934:龍造寺季家

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龍造寺季家 龍造寺家氏

 出自には諸説があって定かにされていないが、藤原秀郷8代孫の藤原季善が仁平年間に肥前佐賀郡小津東郷内龍造寺村に入り、地名から龍造寺姓を名乗ったのが始まりとされる。藤原道隆の流れをくむとされる草野季貞の子孫とする高木季経の次男・高木季家が、季善の養子となり南次郎と称した。
 後に数家に分かれたが、室町時代末期から戦国時代にかけて本家である村中龍造寺氏が当主の若死などが理由で衰えたため、水ケ江城に拠った水ケ江龍造寺氏が最も力を持った。
 龍造寺氏の家紋は、「日足」「剣花菱」「杏葉」の三つが知られている。日足紋はきわめて珍しいもので、太陽の光芒すなわち太陽光線を図案化したもので、家紋の分類としては「日の丸紋」に含まれる。

 龍造寺氏13代当主。龍造寺氏は肥前の国人領主の一つであったが、主君筋の少弐氏が大内氏との紛争で疲弊すると、相対的に肥前国内で自家の力を増加させた。また信心深く、肥前瑞應寺を開基した。
死後、家督は嫡男の康家が継いだ。