F901:藤原秀郷 | 藤原房前 ― 藤原魚名 ― 藤原秀郷 ― 刈田経元 | F906:刈田経元 | ● |
リンク |
白石宗実 | 白石宗直 |
---|---|
天文22年(1553年)、伊達氏の家臣・白石宗利の子として誕生。祖父・宗綱が伊達晴宗に仕え、宗実は伊達輝宗の頃から伊達氏に仕えた。 |
登米伊達家初代当主。天正5年(1577年)、伊達氏の家臣・梁川宗清の子として誕生。慶長4年(1599年)、岳父・白石宗実の養子となり胆沢郡水沢城主となる。慶長5年(1600年)、関ヶ原の戦いでは上杉景勝の領地となっていた白石城の攻略戦,慶長出羽合戦で最上義光の援軍として活躍した。 |
白石宗貞 | 伊達宗倫 |
慶長2年(1597年)、伊達氏家臣・梁川宗直の長男として生まれる。慶長4年(1599年)に母方の祖父・白石宗実が死去すると、宗直が白石家を継ぐことになる。元和2年(1616年)7月に白石家は伊達姓の名乗りを許された(登米伊達家)が、寛永6年(1629年)7月、宗直は藩主・伊達政宗の勘気を蒙って仙台への出頭を命じられ、査問を前にして死亡した。このため登米家は存続の危機に陥ったが、翌寛永7年(1630年)に政宗は白石家から伊達姓を剥奪し、家格を一門から一家に降格することでこの一件を落着させ、宗貞に父の遺領15000石の相続を許した。この時、1430石を弟・宗元に分知し、梁川家を再興している。 |
寛永17年(1640年)4月3日、仙台藩2代藩主・伊達忠宗の5男として誕生。寛永21年(1644年)8月に登米伊達家を継いでいた同母兄の五郎吉が死去すると、翌正保2年12月2日(1646年1月)にその跡取りとして迎えられ、4代当主となる。慶安3年(1650年)2月18日、元服して宗倫と名乗る。万治3年(1660年)7月、異母弟で3代藩主・綱宗の隠居願に他の一門・重臣と共に署名する。この時、藩内には次期藩主として宗倫を推す声もあったが、結局は綱宗の長子・亀千代(のちの綱村)が4代藩主となっている。 |
伊達村良 | |
寛保3年(1743年)4月29日、仙台藩5代藩主・伊達吉村の8男として誕生。幼名は政五郎。宝暦2年(1752年)、同母兄で登米伊達家8代当主・伊達村勝が陸奥一関藩3代藩主・田村村顕の養嗣子として迎えられることになったため、村勝に代わって登米伊達家9代当主となる。家禄平均法を施行し、財政の立て直しを行った。養蚕の奨励,琵琶湖からの鯉や鮒の移入なども行った。 |