藤原宮跡
ふじわらのみやあと (Fujiwara-kyo Palace)
【P-NR007a】探訪日:1994/7/3
2017/8/27
奈良県橿原市醍醐町
藤原京は、持統天皇の694年、大和三山のほぼ中央に造営された最初の都城制都市であり、東西2km,南北3kmにわたっている。その中心部が藤原宮であり、東西8坊,南北12条,中心の宮殿は920m四方で、大極殿や朝堂院など大陸的な建物が並んでいた。また、藤原宮は四周を大垣と呼ばれる掘立柱塀により区画され、東西南北の各辺に宮城門が3つずつ開く構造になっている。
大極殿は重要な政治,儀式の際に天皇が出御する藤原京で最大の建物で、正面45m,側面20m,基壇を含めて高さは25mを超えるとされる。現在は基壇の跡だけが残る。710年の平城遷都まで持統天皇,文武天皇,元明天皇3代16年間、ここを中心に律令国家体制が推し進められた。
【史跡規模】 |
【国宝】 |
関連時代 | 飛鳥白鳳時代 |
関連年号 | 694年・710年 |
関連人物 | 系図 | 関連人物 | 系図 | 関連人物 | 系図 |
持統天皇 | K306 | 文武天皇 | K308 | 元明天皇 | K306 |
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▲説明板
▲大極殿跡
▲大極殿跡
▲大極殿跡
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▲朱雀大路から見た朝堂院跡
▲醍醐池
▲醍醐池