柴田勝家生誕の地〔下社城跡〕
しばたかついえせいたんのち〔しもやしろじょうあと〕(Birthplace of Shibata Katsuie[Shimoyashiro Castle])
【Z-AC186】 探訪日:2018/4/8
愛知県名古屋市名東区陸前町1310
【MAP】
柴田勝家は1522(大永2)年に下社城で誕生した。なお、1526(大永6)年、または1530(享禄3)年生まれという説もあり明確ではない。十代の頃から織田信秀に仕え、信秀亡き後はその子信行(信勝)の家老として出仕した。信行は信長の弟であり、信秀の居城であった末森城を継いでいた。下社城と末森城の距離は4.5kmほどである。
1556(弘治2)年、信行が信長打倒の兵を挙げた際(稲生の戦い)、勝家は千人の兵を率いて信行軍の主力となったほどの武将であったが、結局、戦いは信行方が敗れる。このとき信長は信行を赦し、勝家ら信行の家臣らも謝罪して信長への忠誠を誓ったと言われる。しかし、その翌年、信行は再び信長に対する謀反を企てたため、勝家は信行の器量無さに失望し清州城の信長へと寝返った。その後は信長の筆頭重臣として大活躍を続ける。1575(天正3)年には越前一向一揆平定の功により越前八郡49万石を与えられ、新築の北ノ庄城に移り、北陸方面の軍団長を任され、加賀平定と対上杉戦に従事することとなる。
【史跡規模】 |
【国宝】 |
関連時代 | 戦国時代 |
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関連年号 | 1522年・1526年・1530年・1556年・1575年 |
関連人物 | 系図 | 関連人物 | 系図 | 関連人物 | 系図 |
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柴田勝家 |
▲明徳寺正面
▲柴田勝家公誕生地の碑
▲柴田勝家公誕生地の碑
▲説明板
▲下社城址の碑