七里の渡し〔熱田宿〕
しちりのわたし(Sichiri-no-Watasi)
【Z-AC186】 探訪日:2017/5/21
愛知県名古屋市熱田区神戸町
【MAP】
1616(元和2)年、東海道における唯一の海上路である「七里の渡し」が始まった。七里の渡しは満潮時に陸地沿い航路が約7里(27q)で、干潮時に沖廻り航路が約10里(39q)であった。七里の渡しの名称は、移動距離が7里であったことに由来する。渡し船によって移動し、所要時間は約4時間であった。
天候の悪化などにより、海難事故がしばしば発生する東海道の難所の一つであった。海上を避ける迂回路としては、脇往還の佐屋街道があった。宮宿、桑名宿は渡船場として賑わい、旅籠屋数でそれぞれ東海道における1位と2位の規模を誇っていた。
現在は、渡船場跡が宮の渡し公園として整備されている。
【史跡規模】 |
【国宝】 |
関連時代 | 江戸時代(前期) |
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関連年号 | 1616年 |
関連人物 | 系図 | 関連人物 | 系図 | 関連人物 | 系図 |
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近くのうなぎ料理専門店の待ち時間に徒歩で訪れた。熱田神宮にほど近く渡し船に乗り
降りする人々の賑やかな声が聞こえてきそうな気がした。